深谷から箴言
平たく言えば「深谷の将棋大会」なのだけど。
ぼくは性懲りもなく参加してきたわけだ。100人近い参加者のなかで4局。2勝2敗の平凡な戦績で、一晩経っても軽く打ちひしがれてるわけだ、これもいつもどおり。
何なんだろう?4局とも逆転無く大差の勝敗だった、勝った対局は「手合い違い」と言えるほどこちらの優勢、しっかり勝ち切ったのに、負けた2局の内容が良くない。というのも指してて負けない相手だなと感じる人にちょっとずつミスを繰り返して負けたのだから。
1局目にスパっと勝って「よし!今日は集中力が充実してる!」と感じたにも関わらず、2局目は角のタダ取られ、信じられないような凡ミス。。。。だめだなあ・・・アホだなあ・・・
ちなみに一緒に参加してた山本君(ZEN将棋クラブで一緒)は5位入賞!地力をつけてるなあ。
でも、最後の最後に戦果はあった!

左が矢内理絵子女流4段、右が藤田綾女流初段。
将棋界の綺麗どころといえばこの二人でしょ。どさくさに紛れて撮影成功w
今回の大会はこの二人がゲストだったため来場者も多かったようだ。
この写真だって全部終わってるのにお二人の周りに人がたかってるその隙間をぬって半ば強引に撮影、
矢内さんには4年前に色紙をもらってるので(2008.5.31矢内女流名人とニアミス)その話題をしようと近づいたのに、ギャラリーが次々来るので渋々退散した。
ま、よしとしましょう。


NHKのBSプレミアムで放送している清く正しい科学番組。
動物生態モノとか歴史探訪とかも好きだけど、この手の番組は特に大好物!これをおかずにご飯3杯いけるね。
なかでもNHKのはアホなタレントなどが出てこないのがイイ!大体やつらが出演する意味がわからないって。しかも「ここで問題です」とかクイズを織り込むのもどうなの?まあ民放批判は置いといて。
もうね、「地球から200万光年」だとか「太陽の1万倍の質量」だとか、ムチャな数字が出てくるとそれだけでドキドキしてしまう。「ガンマ線バースト」とか「中性子星」とかそういうマンガチックな非日常な言葉もググッと来る!
ただし誤解してもらっては困る。
「好き」なこと=「得意」なわけでない。
若い頃からよく見てるんだけど、覚えられないのだよね〜。見てるときは「おお!そうなのか、すごいなあ!」と
感嘆の声をあげるのに翌日になると知識として残ってない、いとかなし・・・
っつか、そもそも物理とか不得意だったし、実のところ解説をどれほど理解してるか怪しいのだけど。
しかし、たとえ理解する脳を持ってなくても、なんつってもあのCGによる映像!あれのきれいさは理屈を越えてるでしょ。


毎週木曜日夜10:00から放送中です。お奨めです
*21日(月)は金環日食にあわせてスペシャルを放送するらしいです。
あ、ひとつ注意。この番組で語られる話がまるで証明された事実のように見えがちだが、大概まだ「仮説」の粋を出てないものばかり。上に挙げた「ガンマ線バースト」の詳細、いつぞやここに書いた「膜宇宙論」など、いずれも仮説であってそれを否定する説もあることはふまえておくべき。
常識とやらは、いつの間にか、ある日一夜にして変わっています
・へそのゴマ
昔=触るな → 今=掃除した方がよい
・傷口の処理
昔=徹底消毒徹底乾燥 → 今=無消毒で湿らす
・発熱の対処
昔=徹底して下げろ解熱剤飲め → 今=むやみに下げるな
・歯磨きのタイミング
昔=食後すぐ磨け → 今=30分以内に絶対磨くな、むしろ虫歯を促進する
・朝の歯磨き
昔=寝る前に磨いてるから朝食前は別に必要ない → 今=寝起きが口内のバイ菌は最大(※ゆすぐだけでいい)
・歯磨き粉
昔=磨いた後は残さず何回もゆすぎなさい → 今=ゆすぎ過ぎはせっかくのフッ素成分が取れて虫歯に
・視力のダウン
昔=暗いとこでPCや本やTV見ると目悪くなるよ → 今=ありえません。それはただの疲れ目
・不妊解決
昔=毎日出さないで精子を貯め、濃くなったのを入れなさい → 今=頻繁に出させ常に新鮮な精子をぶち込みなさない
・介護の心得
昔=怪我しないようになんでも手伝いなさい → 今=手伝うごとに衰えます、何でも自分でやらせなさい、虐待に冷酷に見えるくらいに
そういえばそうだったなあと、どことなく懐かしくもあり。
「家庭の医学」的な常識のどんでん返しは他にもありそうですね。
日本国天皇は今上天皇陛下で125代目になる。世界のどこを探しても万世一系で125代=2672年間という長さは他にない、尋常でない歴史を誇る。ま、大抵の国では政権交代するとそれまでの王は抹殺されてるからなのだけど天皇家に限ってはこれを生かしていくことで人心掌握を手軽に行えたのだろう。けれど、初期の天皇にはその実在を疑われる向きもあって、日本人としてそこを踏まえておこうというテーマだったのだけど。今自分で読んでみてもイマイチだったなあ。
さて、「初代米大統領は?」と質問されれば「ワシントン」と大概の人が答えられるのに、「初代天皇は?」との質問には分かる人のほうが少ない。ところが戦前の教育を受けた人なら常識中の常識であったという。それどころか10代くらいまでは諳んじていたという。
答えは「神武(じんむ)天皇」。
いや、戦後でも「神武景気」というのがあったし、将棋棋士の加藤一二三9段は「神武以来の天才」という呼び名があった。これは戦争に負けてそれまでの皇国史観を否定されながらも、簡単に民族的記憶から拭えなかったからか。
この初代神武天皇、そこから9代までの天皇がフィクションではないかと疑われている。特に2代から9代までは日本書紀に名前と即位年没年くらいしか記載されず、寿命がやけに長かったり不自然なのだとか。
第10代崇神(すじん)天皇になるとようやくその活躍が記録されている。そして名前に「神」がつくのは初代神武、10代崇神、15代応神の三人だけ。この崇神こそ初代だったのではないか?と推理されている。
神武はその即位までの活躍が記され、崇神は即位後の業績を記されている、これは一人の天皇を2つに分けたのではないか?日本書紀を作るにあたり、史実よりも長い足跡を記録すべく9人分創作したのではないか、ということ。
このことの裏付けとして代々大和朝廷の神武帝に対する態度が伺われる。ほとんど無視に近い扱いをしてきた。神武を祀る神社はずっとなく、明治22年になってようやく橿原神宮が建立された。
宮内庁の比定する神武天皇陵も考古学会では「あれは古墳ではない」というのが常識になっているのだとか。
以上のように考古学的視点から我が国の歴史を冷静に判断することも大事だと思う。だが、「フィクションだから神武を今更教えることはない」ということにはならない、とも思う。
所詮2000年前の今更誰にも証明のできない史実、もちろん今後有力な史跡が発見されるかもしれないがたとえどんな資料でも「断定」まではいかない。であるならば、「日本国」というこのちっぽけな極東の島国のためにそれを誇れる教育方針はあってしかりだと。「日本はこんな素晴らしい歴史を世界に誇れるのだよ」という態度は強力なアイデンティティになる。
それが行き過ぎて「帝国主義」的な歩みを始めた、という否定論もあるが、それはむしろ逆で帝国主義的に歩むために神国日本という旗印を利用されたと見るべきだろう。多くの国が神話を持って祖国のプライドとしているのだから、全然突飛なことじゃない。
これに関連して、実は天皇代々の歴史は万世一系ではない、何度か政変があり血のつながらない他人に取って代わられている、という「3王朝交代説」というのがある。これもまた面白い仮説で、しかも様々な歴史的記録をうまく説明する名推理なのだ。
けど、いささか長くなったので、此処から先はまた次の機会に。

やばいやばい!まじヤバイって、これ・・・
というのが本書を読んでる時の率直な気持ち。篠田節子という人を知らなかったのだけど、もう読み始めたら否が応もなく物語世界に引きずり込まれた感じ。上下巻で1000ページ以上あるのにやめられない止まらない!もっと正直に言うと読んでる間ずっと心の奥底で震えが治まらなかった。恐怖心ゆえにかえって離れられなくなってしまったのかな。
内容(「BOOK」データベースより)
信者が三十人いれば食っていける。五百人いればベンツに乗れる ―作家になる夢破れ家族と職を失った正彦と、不倫の果てにホームレス同然となった矢口は、9・11で、実業の象徴、ワールドトレードセンターが、宗教という虚業によって破壊されるのを目撃する。長引く不況の下で、大人は漠然とした不安と閉塞感に捕らえられ、若者は退屈しきっている。宗教ほど時代のニーズに合った事業はない。古いマンションの一室。借り物の教義と手作りの仏像で教団を立ち上げた二人の前に現れたのは…。二十一世紀の黙示録的長篇サスペンス。
「長編サスペンス」って紹介があるけど、これはサスペンスなんてジャンルに収まらない。社会派小説でありリアルホラーでもある。ホラーといっても超常現象が出てくるわけじゃない。
本当に怖いのは幽霊なんかじゃない、人間そのものだ、人間のコミュニティが無意識に創りだす暴力性・・・
新興宗教の話は今までも結構読んできた。村上春樹の『1Q84』もそうだけど、その基本的スタンスは社会における異質性あるいはその害悪を表現しているようなものが多い。そう思って読み出したら、とんでもない。
主役・正彦(桐生慧海)は都庁に勤めていたこともあって、軽い気持ちで立ち上げた宗教がうまくいっても近隣住民との摩擦を恐れコンプライアンスをしっかり守り、運営に際し経費や利益が有耶無耶にならぬようにする。
つまり一般企業と比べて遜色の無いように、あるいは世間から後ろ指を指されぬように、まさに役人然とした運営を心がける。むやみに暴利を貪らず入信も強要せず、どう考えても社会の害悪とは思えないくらいに堅実に運営する。うまい具合に企業社長などに信心され、想定以上に成長していく。
この「暴利貪らず、入信強要せず」という理念が功を奏し、思いのほか大躍進する姿が上巻。他の宗教団体や信者家族との軋轢などからマスコミに叩かれだして一気に坂道を転がり落ちていくのが下巻。
こうやって解説文章にすると「何が怖いのか?」伝わらないだろうけど、怖いのは、その圧倒的なリアリティだと思った。
信者家族がマスコミや世間を味方にしてこの団体を追い詰めていく様・・・どれだけ真摯に運営していても「異物」として認識された時、社会は容赦なく攻撃するのだなあ。そこでは警察も司法も意味を成さない・・・
でも実際自分の身辺に知らない宗教施設などできたら、ぼくも「攻撃する側」に回ってしまうかも。その際「何が正しいか?」などと吟味することはないだろう、論理など吹き飛んでただ本能のまま追いだそうとするかも。血液中に入り込んだウイルスを攻撃する白血球の如く。
「当然のことでしょ?」と、以前のぼくなら言ってたかもしれない。でも、現実にはこういうインチキでなく身奇麗な新興宗教もあるかもしれず、それによって救われてる人もいるかもしれないのだ。心を病んだ大人、家庭に居場所がないと感じている主婦、人知れず家族からDVを受ける少女。
この教祖は信者でなくても電話で相談してきた一般人にいかにも役所出身らしく合理的な答えを与える。壺を売りつけたり多額の布施を要求したりしない。例えばこんな具合に。
〜この近くに住んでいる中年の主婦は、自分は生まれてこの方ずっと人に騙され続けている、世の中のすべてが自分を裏切っている、と訴えた。聞けば最近もパートタイマーとして働いていた小さな店で給料の不払いに遭い、高齢の母は病気が治らないのに強制的に退院させられて行き場がない。長兄は金持ちで大きな家に住んでいるのに、妻が恐くて母のことは見て見ぬふりをする。
正彦が答えたのは、給料請求の具体的な手続きであり、母親の介護に関しては、相談に乗ってくれる自治体の窓口を具体的に教え、要領よく事態を伝えられない女に代わり電話をかけてやった。
教祖の仕事とはとうてい思えない。しかし普通の家庭生活を送っている多くの女性が、心の問題や神様について云々する以前に、社会のシステムや制度についての正確な知識を持っておらず、そのために問題が解決できず、相談相手もいない状況に置かれていることに正彦は驚かされていた。
とても長くなってしまったが、それでも書ききれないくらい。
最近読書記事で「面白い!」を連発しすぎてる感もあるが、だって面白いんだから、仕方ないね。
男はお互いを貶しながら付き合っているが、決して本気でけなしているわけではない。
女はお互いを褒めあって付き合っているが、決して本気で褒めているわけではない。
まあ、そうなんだけど。そんなこと女性に言えないって。
人の孤独の総量は、みな平等である。この年になってそう思う。だが、自分の孤独だけは特別だと思い込みその考えに囚われると、人は自壊する。人生は孤独との戦いだけど、そンな事は忘れたフリをしてシレッと生きる、それが、大人である。(小池一夫)
小池一夫大先生の至言。自分だけじゃない、みんな孤独との戦いのなかにいるのだ。
盲腸は実は無駄じゃないことが発覚した、腸内細菌の退避路みたいなものらしい。
盲腸が無い人が水の悪いところに行くと下痢しっぱなしだけど、盲腸があると復帰が早いとか。
これを読んで『ブラック・ジャック』のある話を思い出した。オペで開腹して「先生、ついでに虫垂(盲腸)も切除すれば?」と若い医者にいわれたBJが「虫垂とか、病気でもないのにむやみに切るもんじゃないよ」みたいなセリフがあったのを思い出した!手塚治虫は盲腸が無駄じゃないことを直感的に感じていたというのか!
結婚式の祝儀といえば、知人と「3万とか1万で2で割れないとかいうけど、3万も1万も2で割れるだろ!クソが!偽善だ!カスが!」という話になり、結果近傍の素数、30011円及び10007円が適切という結論に達した。
個人的に「素数」の話題が好きなもんでw
津軽海峡冬景色〜は、一切歌詞に感情を表す言葉を使ってないという豆知識、ほほうと思った。情景描写で聞いてる人に感情を想像させる歌。
おお!演歌って奥深いなあ〜。
と一瞬感心したんだけど「♪凍えそうなカモメ見つめ泣いていました♪」って感情表してないか?
人の欠点が気になったら、自分の器が小さいと思うべきです 〜 石井久
石井ってプロ野球の人でしょ?こんな名言吐けるの?
彼女に「俺が初めてだよね?」って聞いたら「そうだよ。でも、何で男の人ってみんな同じこと聞くの?」って言ってた
アメリカンジョーク的な味わい。

同じ著者の『重力ピエロ』を読んだのはいつだったかな?
伊坂幸太郎といえば今や押しも押されぬ人気作家、ベストセラーメーカーだ。ぼくは人気者に対しては自然と腰が引けるというか嫉妬が起こるのでなかなか手を付けない。それでも多くの「面白い」という声に触れ漸く手にとった『重力ピエロ』、正直言ってそんなに心を打たなかった。
面白いけど、2度は読まないなあ、くらいな。
で、それで、たった一冊で作家を判断したのは迂闊だった!
なにせこの『オーデュボンの祈り』、むちゃくちゃ面白いのだ。
内容(「BOOK」データベースより)
コンビニ強盗に失敗し逃走していた伊藤は、気付くと見知らぬ島にいた。江戸以来外界から遮断されている“荻島”には、妙な人間ばかりが住んでいた。嘘しか言わない画家、「島の法律として」殺人を許された男、人語を操り「未来が見える」カカシ。次の日カカシが殺される。無残にもバラバラにされ、頭を持ち去られて。未来を見通せるはずのカカシは、なぜ自分の死を阻止出来なかったのか?卓越したイメージ喚起力、洒脱な会話、気の利いた警句、抑えようのない才気がほとばしる!
最初から最後まで緩むこと無く、一気に読ませる。なに?この発想力?天才じゃね?
って今更勘付いたわけだ。そりゃ人気作家にもなるわ。どことなく村上春樹の影響を受けた文体もウケる要素だろう。
デビュー作ってことで、どことなく荒削りな文章なんだけど、むしろそれが作品の価値を高めている気もする。
伊坂幸太郎ネットで色々探ったら、映画化ドラマ化された最近のものより初期の作品のほうが人気が高いらしい。社会派的な色合いの強い「大人な」最近作よりも自由奔放なテーマで書かれた初期作のほうが人の心を打つっていうのも面白い。
異色ではあるけど推理小説的なジャンルだと思うので、例によって内容には一切触れません。
大いにオススメです。
事件を起こした容疑者がてんかんの発作を起こしていたとか正気だったとか、様々な憶測が飛び交うまま謎を残したままもう巷で話題になることも少なくなり早くも過去のことになりつつある。
急にこんな記事を書いたのは、2日続けて猫の轢死体を見てしまったから。
猫を引き合いに出すのは亡くなった7人に失礼かもしれない。もし犠牲者の遺族だったら不謹慎極まりないだろう。
でも、「車が起こした悲劇」という根本は変わりない。
そう、車というのはテレビ・冷蔵庫などと同じくらい日常の道具でありながら、その実恐ろしい殺人機械となりうるのだ。
すでに様々な媒体でコメントされているように、てんかん患者であることを問題視するのは本質とずれている。
それを言うなら糖尿病患者のインシュリン投与やその他の病気でも同等のあるいはそれ以上の症状が起こりうるという。
問題は、車の運転にはたとえどれほど安全運転を心がけても、何かのはずみで殺人者となる可能性を大いに秘めている、ということだ。京都の事故は軽自動車でありながら6人を轢き殺した。トラックであろうが軽自動車だろうが人を簡単に殺せるポテンシャルを秘めたとんでもない道具なのだ。
以前何度か書いているが、ぼくは大学生の頃タヌキを轢いたことがある。
まだ免許を取って間もない頃で、車のスピードに対する危険性を軽視していた。
25年を過ぎた今でもあの時のタイヤがタヌキを乗り上げる感触!・・・が忘れられない。それ以来不必要にスピードは出さないようにと心がけているけど、急いでいる時にはそんなことは意識から吹っ飛んでしまう。
カーナビが普通に装備されてたり携帯電話が普及し、あの頃よりも運転は危険なものになっているにもかかわらず。
米国の誰でも拳銃を所持できるいわゆる「銃社会」が問題視されているが、狭い国土でほとんどの社会人が車を運転するという「車社会」においても、殺意がなくても誰でも殺人者になりうる、という意味では五十歩百歩と言えなくもない。
だからといって今更「車のない社会」に後戻りできないのが文明の悲しい性だろう。
京都の事件の亡くなった容疑者を擁護するつもりはないし、犠牲者にことさら情をかけるわけでもないが、車を運転する以上は我々は常に「自分もある日殺人者になるかもしれない」という厳然たる事実をしっかりと覚悟するべきだろう。
そんなことを徒然に思った。

ネットの読書レビューを利用して選ぶようになってから、明らかにアタリが多い。これもまた凄いわ・・・もっと早く読めばよかった。
読み始めた最初はピンと来なかった。ただの空想旅行見聞録じゃないか、SF仕立てのガリバー旅行記か、って。
しかし進むにつれ無償に惹きこまれてゆく、旅の見聞自体も面白いのだけど、それ以上に主人公ラゴスの半生を描いたいわば大河ドラマ的なスケールと根底に流れる人生感というか、なんと表現したらいいかわからんが、とにかく「すごい!」としか言い様がない。
旅モノといえば沢木耕太郎の『深夜特急』を想起する。あれは現実世界でのノンフィクション旅行だから筋書きがないところの面白さか。こっちはガッチリとした筋書きの上で展開される不思議世界での人間の生き様。
どちらにしてもフィクションでもノンフィクションでも、現実でもSFでも、「旅」というのは我々の心を激しく揺すぶるものがあるのだなあ。
けれど本著が『ラゴスの旅』でなく『旅のラゴス』なのは、「旅行記」が本質なのでなく「ラゴスの生き様」が「旅」という背景の上に描かれているからで、単なる旅行記ではない。
海外SFの訳本っぽい文体も個人的には心地よい。いや、文章的にもっと読みやすいしこれは再読する予感。
読みやすさから1日で読み終わっちゃったが、1回では読みきれない深さが感じ取れる、いろんな不思議な出来事の裏側にまだ読み切れていない摂理があるような気がして。

ホーガンの重厚なSFのあとは、肩の力を抜いて読める軽い話。お茶菓子みたいなものかな。
将棋棋士、先崎学8段による週刊新潮連載のエッセイをまとめたもので、これまでも数冊刊行されてそのたびに買っている。
将棋専門誌でなく大衆紙の連載ってことで「将棋を知らなくても楽しめる」という売り口上だけど、絶対将棋知ってるほうが楽しい、プロ将棋界を知っていれば更に興味深いし。
羽生と同学年の著者なので、羽生をはじめいわゆる「羽生世代」棋士がしょっちゅう出てきて舞台裏を晒してくれるのだから、将棋ファンにはたまらない。
けどそれだけじゃない。
連載10年を過ぎたというが、長期連載の秘訣はやはり著者の卓越した文筆力に負うところが大きい。この人もかなりの本好きらしくてそこここで古今東西のあらゆるジャンルの本が登場する。そもそも文章自体がいろんな作家の影響を感じさせる、というか、どう見ても一端の文筆業者、それくらい上手。
本業は将棋指しであるから、日々の対局などもよく出てくるが、勝負の世界の悲哀が、緊張感に満ちてたりユーモラスに描かれていて、いつ読んでも楽しめる。
今作で一番心に残ったのは
「どうせ死んじゃうんだから」というくだり。つまり、対戦が難しい局面になり追い詰められた時の心情、というか逃げ口上だけど、著者をはじめこれを口にする棋士が多いのだとか。
で、こういう気持ちに慣れた時には意外と勝率がいいという逸話。
ああ、自分だけじゃなかったのかぁ!ってね、思ってしまったw
将棋だけじゃなくあらゆる仕事でも切羽詰まった場面というのは存在し、ぼくなんかはこう思って、ってか自分に言い聞かせて泰然自若を装ってことに当たる事が多い。
ぼくのような老荘思想主義者ならともかく、勝負の世界に生きる将棋棋士でも「諦観」を抱いたりするのだなあ、と、なんだか安心した。
さて、長々書いた末のこの本のオススメ度は・・・実際面白いんだけど、ん〜・・・冒頭に書いたとおり「面白い」と感じるのはやっぱ将棋知ってるからじゃないかなあ。
Author:ヨシロ
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